善と悪 四通目 三野新→秦雅則 (2月27日)





廃景、深雪


 連日の東京におけるあの雪の景色において、僕はずっとこれまでの秦さんとの一連のお話を考えておりました。山梨県、群馬県、埼玉県を主とした関東の山陸部に孤立してしまった人々のことを考えるにつれ(大変不謹慎スレスレの物言いとなってしまうのですが)これはなんて写真的なのだろう、とも考えてしまい、写真における暴力性や静止性なんかを、大量の雪によって結びつけられ、暴いてしまう状況に呆然とするのでした。そして、僕自身、そこに住む方々を空中から眺め見て(それはヘリコプター上から写された報道写真の視線によって)それらの土地の風景をなんとか想像しようと試みます。それは、現実の風景として、そこにあったわけです。きっとそこには、白以外全ての色が閉ざされ、排斥され、そして、その色以外を持つ人間も、疎外され、沢山の白のなかに浮かぶ色の一点として一瞬登場するものの、その色の一点は、すぐさま白の厖大な質量によってノイズとして埋められてしまうのでしょう。それは、白のファシズムであったのです。
 これまでの一連の流れの中で初めて、僕の中で雪の話がスムーズにこの手紙の主題となりました。というのも、ずっと雪について、やはり秦さんが最初の手紙のなかで書かれたことが幾分、いや、かなりの飛躍を僕に強いて、一度はその話に乗ってみたものの、幾分逡巡の間が空いていたという事実もあったわけです(これは最初の手紙の遅れの言い訳でもありますね)。ただ、やはり秦さんから送られてくる雪という冷たさの代名詞であるはずの、その冷たさという感触の正反対のものである熱さを感じる文章を読むに連れ、次第に自分の中で雪と写真に跨がる思考を深化させていくことが出来ました。そこで、最近類を見ない関東豪雪という状況を観測し、これからのお手紙に書かせて頂く契機と致しました。
 さて、秦さんが前回のお手紙の中で、雪に対する写真の共通項としての「可視化」「記憶」「足りないピース」のうち「可視化」に対して二つのポイントを示して頂きましたね。改めてそのポイントを簡単にまとめてみると、一つ目は「速度」の問題、二つ目は「デジャヴ」の問題。そして、それらのポイント同士を結びつけているのは「錯覚」である、ということです。ただ、個人的には、このお話は、「記憶」に関する問題とも通じており、僕が秦さんのお話をまとめてみた「可視化」「記憶」「足りないピース」という問題系たちも、じつは念入りに絡み合った糸であったなぁ、と今は考えております。そこで、今回は、そのうちの「足りないピース」についてのお話をさせて頂きたい。
 僕はさきほど、白のファシズムとしての雪、と述べましたが、これは、雪単体の物言いから生まれたものではなく、積雪、深雪、豪雪、といった雪とともにあるように仕組まれたという文字が先に付されることによって生まれるイデオロギーです。そして、この白のファシズムは、いままでのお手紙では語られていないことです。というのも、私たちが写真的であるとした雪というものは、であり、であり、であったわけです。これら雪を表現することにおける最も顕著な違いは、その量であると言えます。ただ最初に述べたように、災害としての深雪を見た自分自身は、それを写真的であると考えました。その時の写真性は、その雪そのものではなく、その雪で埋まった土地であり、閉じ込められた人間であり、そしてそれらを概観する状況そのものです。つまり、雪としての写真とは、その始まりは降り積もるまでの雪そのものを感覚化する時に生まれるものであり、それが一度降り積もり、写真制作者との身体的な状況を左右されるような時となったとき、改めて雪としての写真が生まれ直すのです。
 「可視化」と「記憶」という観点からすると、生まれ直した後の写真を捉えることができません。なぜなら、共通する「錯覚」を引き起こすためのフックが、全て白によって埋められてしまうからです。僕は、「足りないピース」において、「雪がそこにあること」が重要であると考えます。雪が「あちら」からやってくるのではなく、もうすでに「こちら」に根を張り、なかなか出て行ってくれない状況も極めて写真的であるはずなのです。この写真的思考は、撮影行為ではなく、鑑賞行為についてのことであり、すでにそこにある=物質としてプリントされている写真を再び見る行為について考える、ということです。
 いま、わたしは、雪と写真を同じものとして考えています。今回の関東豪雪によって、山の中だけでなく、都市のなかでもその機能は麻痺して、食糧や電気などの生活インフラが途絶え、孤立しました。白のファシズムによって、写真を再び見返すことを息苦しくし、もう写真を見たくもない状況に陥っています。それは、雪がの屋根を押しつぶし、玄関前の道路を塞ぎ、流通を阻害しています。写真たちの屋根は、いとも簡単に写真によって潰れ。写真の瞳孔は、写真によって閉ざされ、太陽への道を塞がれる。
僕は、ついつい写真家たちによるに対する悲劇を妄想してしまうのです。秦さんは、どうですか?いまも、まだ救援物資は自衛隊のヘリコプターからとどいていませんか?
 実は、秦さんの書いてくださった「生物を無生物化してしまう写真や無生物を生物化してしまうフィクションを生物と無生物の中間であると仮定して」という一文に膝を打ちました。「無生物を生物化してしまうフィクション」とは、無生物は「文字や文章」であり、生物は「言葉、もしくは想像力の中に住むいきもの」であるのでしょう。そうであるならば、いま、僕が語っていることは、まさにその「中間」のことです。そういえば「中間」とは、「medium=メディウム」のことであり「媒体=メディア」とも呼ばれていましたね。
 雪=写真の中間である媒体、としての自分、に憑依した、数々のたちの物語。その物語に描かれた、雪の生活、そして、白のイデオロギーによって強いられる孤立について。もしもし、聞こえますか?秦さん?いま、そちらの状況はどうでしょうか?



選択肢一覧


①(物語の始まりから終わりへ、そして断章へ)


②(断章として描かれる物語へ)


③(物語から、今再び写真に向けて)


 あ、僕は何の話をしていたんでしたっけ?雪の話?していましたか?どうしんただろうか、(断章)とかかれた以前の文章を、僕はいま読むことが出来ませんし、思い出すことも出来なくなってしまっています。でも、そんなことより、前のお手紙において、秦さんがおっしゃる性善説と性悪説の問題に解答しないといけませんね。
 実は、根本的な差異とおっしゃった、僕が完全に性善説である、という意見に完璧に同意することは出来ません。でも、善の意識に則っている、というのは同意できます。そして、お手紙を拝見した限りにおいて、秦さんも完全に性悪説である、と言い切ることは出来ないのではないでしょうか。それこそ、「僕自身も、自分の中にある喜びや快楽、悲しみや苦痛を形にして表に出したいと思っていますし、その欲望を抑えきれない」とおっしゃることから、絶対悪のはずの自己表現を、いかに善になりうるか、という問題を同時に抱えているわけですから。
 試しに、ちょっとだけ話をずらし、歴史を召喚してみましょう。
 かつて、人間の感情とは悪そのものだったようです。そこには、神が至上であり、観念であり、具体的なものに惹かれてしまう人間の感情など、極めて卑しいものであった、という考えが通底しています。ですから、芸術とは、観念として神を想起するためのシンボルや象徴してのみしか表現することが出来なかったのです。

十二世紀の初め聖アンセルムスは、人間の感覚を喜ばせる要素を数多くもっていれば、それだけ事物は罪深くなると主張した。だから彼の考えによれば、庭園に腰掛けることは危険であった。そこには視覚や嗅覚を満足させる薔薇の花があり、聴覚を楽しませる歌や物語があるからである。(『風景画論』ケネス・クラーク著/佐々木英也訳/ちくま学芸文庫/p21)

 12世紀の西洋ほど、自己表現における性悪説は現代においては遠くなったと言えなくもないですが、実際には、日本において(西洋は別です)そのような芸術に関する脱構築は目に見えるほど行われていないようですし、僕自身の体感としてもそのように思えます。で、物事を複雑にしているのは、写真の機械性とか、無生物性みたいなもので、それらによって、その善と悪への断罪は宙吊りにされたまま、わたしたちの中間(!)を浮遊しています。ただ、秦さんが思い悩む自己表現=悪説は、もしかすると日本だけの問題なのかもしれません。西洋では芸術家の捉え方も、自己表現の捉えかたも、全く異なるわけですから、ここで言う性悪説は、たとえ神を仏と言い換えたとしても日本固有の考えではありませんでした。ですから秦さんがおっしゃった表現を受容する「環境」そのものは、日本と言う「悪い場所」に限定したお話で考える必要性があります。このように限定を積み重ねていった先に残る、善と悪の概念、そしてそれを写真のみに当てはめる、ということはかなり荒唐無稽なように思えるのですが、私たちは写真家であり実作者ですので、その考えを経験に即して帰納的に適用することくらいの権利は持っているはずです。(多分・・・)
 さて、話を元に戻してみましょう。写真の善悪において、僕が前の手紙で書いた「僕自身、一度も写真に対して善か悪かで考えたことはありません」という言葉を、秦さんが言い換えて頂いた、結局「それを扱う人間の善と悪が写真の善と悪に大きく影響している」というお話は、全くその通りだと考えています。そこで、秦さんが平行線を引いた、写真を扱うものが原因か、写真そのものが原因か、ということで言うと、僕は、その両方、とも答えてしまう。あぁ、ごめんなさい!本当はその平行線のまま議論を進めたかったのです。でも、出来なかった。それは平行線にはならないと思う。なぜなら、簡単に僕はそのレトリックを肯定してしまったからです。ただ、僕は、そこに秦さんが平行線を引きたがろうとしたことが大変興味深いと明確に感じます。
 はっきり言ってしまえば、秦さんの述べられた「写真に善悪があるのではなくて、写真を扱う者に善悪は存在するということになるのかもしれません」と言うことと、僕が述べた「僕自身、一度も写真に対して善か悪かで考えたことはありません」という違いは、僕が先ほど引用した文章の次の言葉にヒントがある気がします。

(承前)むろんこれはもっとも厳格な修道院的見解の表明である。ごく一般の俗人は、自然を楽しむことが悪であるなぞ考えなかっただろう。(同上/p.21)

 ここにおいて露にされた私たちの違いは、僕は俗人として、それに対して、秦さんは厳格な修道院としての立場を表明している違いなのではないか、ということです。つまり、性善説に則る俗人としの僕は、至高の神様にたいして祈る振りして写真を扱うものであり、性悪説に則る原理主義者として、修道者としての秦さんは、相手のみならず自分自身にたいしても神様を内包して写真を扱っている、ということになるのではないでしょうか。僕は、ここにこそ、二人の大きな違いが生まれると考えてしまうのですが、いかがでしょうか?そして、俗人たちは、芸術に資するために、一体何をしようとしたか。つまり、僕は、性善説としての僕は、写真に資するためにいったいどこを依り代としているか、ということを話しはじめるとまた長くなってしまいますし、この意見を一度秦さんから伺ってから次のお話を考えていくべきでしょう。


 これから、雪は解け始め、花萌ゆる春の季節となっていきます。急ぎ足で恐縮ですが、お返事、お待ちしております。


景求


三野 新