鈴木諒一「水辺のそばで眠ること」 ①





−わたしの住んでいる場所−


 どの学校にもひとりはいる異様に背の高い女の子が、そのまま大人になってしまったような彼女は、昔の日本人(そんな人たちが本当にいたのなら)よろしく水辺にこしかけて、足を軽くして清らかにわらった。それは美しさともすこしちがっていて、ただとても感動するものだった。この幸福に近づいて来れるものはそう多くはなかったが、水辺に集う清らかなわらいをひとたび覗き込めば、透明なままその内に落っこちてしまう。落ちたのが西の岬への旅路なら、ナビ様にお伺いをたてる左手と2速のギアでつづらおりをかけおり、北の岬への旅路なら、絶滅したニホンオオカミがせっせと運ぶ電車の音で、コトコトわらって夜まで明かす。馬鹿にされ、理想化され、飛躍しながらくるくると回転する、愛くるしさと正確さ。そうした運動の内側で、わたしの感動の音は、人知れず船の甲板に落ちた1mmの雨のように凛と降っては消えた。
 とはいえ、おおかたのことはもう何年もまえの出来事だったので、彼女の清らかなわらいが集う水辺はすでにひからびて、落ち葉やなんかがたまっては吹き飛んでいくがらんどうな窪地になってしまっていた。そこにはどこからともなく、水に似たものが流れ込んできたが、その度にわたしはちいさなダムをこしらえて別の流れにおいやったり、洗濯用のバスポンプで律儀に排水した。水辺に暮らす生き物たちは、ひからびた淵を頑に守ろうとするわたしのせいで、もう何年も前に幽霊の身となって、この無慈悲な事業を見物していた。彼らはわたしがそのうちひからびてしまうのを望んでいたのではなく、わたしの人生にからんだ清らかなわらいが、ふと風にふかれて飛んでいくのを待っていたのだった。
 いつか自分たちの一族がこの場所でまた同じように暮らし、留めてしまったことの「続き」をはじめられるように、彼らは言葉や何某の準備に余念がなかった。なんとも律儀な態度にはもちろん嫌みや皮肉も少なからず含まれていたが、夕方のカレーに混ざったひと欠けのチョコレートのようにそれは所作に馴染んでいて、てんで悪い気はしなかった。
 水の流れを失った彼らは移民となった身をわらいつつ、晴れた日のお昼どきには透明になったその身体をわたしの住んでいる場所に重ねては、冒険をもちかけたりした。そうすることで自分たちの素直な気持ちをさらけ出し、あとに残りそうなよどみの在り処を日の光に当てて乾燥させていた。ほらほらこうするんだよと、これ見よがしに日にあたる彼らは、なんとも嬉しそうに透明な身体をゆすっては、わたしに悪態をつかせた。
 当然、街の奥様方が色とりどりの布団をひろげてベランダを飾るそんな日にあっても、からみついて離れない清らかなわらいは、潤いを帯びて美しく、ひとときたりともわたしを悪い気持ちにさせることがなかった。水辺の生物の幽霊たちは、うなずいて楽しそうに微笑むわたしを見ると、窪地における排水行為についての議論を、眉間に皺をよせ頭を抱えながらわざとらしく交わし、わたしをおちょくった。そんな風にして、窪地にはさまざまな高さにわらいがこだました。
 それがわたしの住んでいる場所だった。





鈴木諒一 / SUZUKI Ryoichi
1988年静岡県うまれ。
web : http://www.suzukiryoichi.com/