阪本勇「猿と天竺」③





休憩中、各々タバコや缶コーヒーで一服していると、ギタリストが現場監督に呼ばれた。ギタリストと元プロボクサーは同い年だが、元プロボクサーは遅刻や当日欠勤が多く、仕事も少し雑な所があって、ギタリストの方がしっかりとしていて現場の人達からも信頼が厚かったので、なんとなく三人の中でギタリストがリーダー的役割を担っていた。建築資材が届いておらず、それ以上仕事ができない日などは早上がりをさせてもらえることもあった。早上がりをしても日当が減らされることはなかったので、僕は内心期待してギタリストの戻りを待った。戻ってきたギタリストは頭に巻いたタオルを外しながら、「もう上がっていいって。それから、ここの現場、俺ら今日で終わりだって」。もうすぐ終わりだということはなんとなく感づいてはいたけれど、少なくとも前日には告げられるものだと思っていたので驚いた。早上がりを喜ぶ余裕はなかった。


仮設トイレの横で私服に着替え帰り支度をしている時、「どうする?」と元プロボクサーが言った。最終日には三人で行こうと言っていた飲みの約束の事だった。いつもより少し早い時間に上がれたし、飲み出すにはまだ日が高かったので池袋の事務所に日当を受け取りに行ってからその周辺で飲もうということになった。日当は一律九千円だった。仮払いで貰うとその内の七千円までをその日に受け取れる。残りの二千円や、受け取っていない日の日当は毎月十日にまとめて受け取ることができた。日当を仮払いで受け取っても手数料もなにも引かれるわけではないので、ほとんどの人は時間が空く度に事務所まで受け取りに行っているようだった。この事務所に登録して働いている人は仮払いを必要とする人、端的に言えば貧乏人が多かった。元プロボクサーもその例に漏れない生活困窮者で、頻繁に事務所に来て仮払いを受け取っているようで、その日は三日分程の日当を受け取っていた。ギタリストは一ヶ月分に近いくらいの日当を受け取ったようだった。


近場で見つけた焼き鳥屋へ入った。ビールで乾杯をし、次の現場の話になった。元プロボクサーは平和島近くの現場を紹介されたらしく、ギャンブル好きな彼は「当たりだ、当たり」と喜んでいた。僕は蒲田の現場を紹介されたけれど、最寄り駅の西武池袋線の富士見台から蒲田までが近いのか遠いのかまったくわからなかったのでその場では答えず、今日はどっぷし飲むと意気込んでいたのもあり、とりあえず明日は休みを入れてもらい、明日以降連絡することにした。もう少し写真に近づく仕事をしようかとも考えていたし、以前大学生から聞いた風俗店の清掃の例もあったので、何かもっと楽な仕事もあるんじゃないかという下心もあった。ギタリストは、「実は今月末で田舎に戻るんだ」と言った。「十九の時に世界一のギタリストになるって親に啖呵切って出てきたのに、十年経っても何者にもなれなかった」と笑った。来年三十歳になるので、田舎へ戻って就職し、田舎にいる彼女と籍を入れようと思っているとも言った。


二杯目からはギタリストは焼酎を飲んだ。冬でもないのにお湯割りで飲む姿はなんだかかっこよく思えた。元プロボクサーは冷酒を注文し、おちょこを二つを頼んだので僕は馴れない日本酒をつき合って飲んだ。田舎に戻っても音楽は続ける、とギタリストが言ったのに対し、元プロボクサーが「いさぎわるい」と言った。急に大きな声で言ったのでドキリとしたが、「潔くない」と言おうとしてるのだと気付き沈黙が流れた。酔っぱらった元プロボクサーがさらにギタリストに絡み出し、現役時代いかに自分が不運だったか、いかに自分が強かったかをまるで演説のように揚々と語るのを僕らは黙って聞いていた。


お会計はギタリストが払った。三人ともべらぼうに飲んだのでかなりの金額のはずだった。「出します」と言ったが、「最後なんだから」といい受け取ってくれなかった。二人の写真を撮りたいと思ったが、店を出てからなかなか言い出せる雰囲気ではなく躊躇していると、元プロボクサーは、「俺、ちょっとよそ行くわと」と小指を立てて歓楽街の方に歩いて行った。「彼女ですかね?」と僕がギタリストに聞くと、少し驚いた顔をして、「風俗だよ」とケタケタ笑い出した。笑い終わると、自動販売機で缶コーヒーを二本買い、一本を僕にくれた。「終電まで少し話そう」と言ってタバコに火を点けた。


僕は話している間、写真を撮ることだけを考えていた。街でカメラをぶら下げて歩いてる人を見れば都会的でかっこよく見えたが、いざ自分が同じことをするとどうにも田舎者の観光よろしくにしか見えないような気がして、恥ずかしくていつもリュックに入れて持ち歩いた。一度、作業着や安全靴と一緒くたに入れてカメラが粉塵まみれになってしまい、それからは大きめのコンビニのビニール袋で包んでからリュックに入れるようにした。今日、この人の写真を撮らなければ写真家としての人生が始まらないような気がして、リュックからカメラを取り出し、「写真を撮らせて下さい」と頭を下げてお願いした。ギタリストは突然頭を下げられたので驚き、「まさかコンビニ袋からカメラが出てくるとは思わなかった」と笑った。


できるだけ明るい場所を探して移動した。高架下の電飾で照らされた広告スペースを見つけ、広告が貼られていない白壁の前に立ってもらった。目の前に立ち、レンズを回しピントを合わせた。カメラ屋のお兄さんにレンズの焦点距離より速いシャッタースピードで撮ればブレないと教えてもらっていたので、50mmレンズをつけていた僕は常に1/60以上のシャッタースピードで写真を撮っていた。1/60にシャッタースピードを合わせると、レンズの絞りを開放にしてもファインダー内の露出計はアンダーを示した。「気合い入れればブレへんはずや」とシャッタースピードを1/30に合わせた。「こんな酔っぱらいの顔、まいったなぁ」とギタリストが笑った。それが合図かのように僕はシャッターを切り出し、十数枚撮ったところでフィルムが終わった。もっと撮りたいと思ったし、予備のフィルムはまだあったけれど、まだカメラの操作にも馴れていないのでスマートにフィルムを装填する自信もなく、あたふたする様を見られたくないという見栄もあり、撮影は終わりにした。なにより、いい写真が撮れたという感触があった。別れ際に握手をし、「お前は写真家に向いてると思うよ」と言われて上機嫌になった。


馴れない日本酒と、背伸びして飲んだ焼酎のお湯割りが血液に紛れ込み、体中を猛スピードで巡っていた。いい写真が撮れたんじゃないかという予感が更に酔いを深くしているようで、いつもならどうにも恥ずかしくてリュックにしまい込んでしまうカメラを首からぶら下げたまま歩いた。酒に酔い、更にはカメラを首からぶら下げている自分にも酔い、千鳥歩きで駅へ向かった。


ホームで電車を待っている時に、新しいフィルムに換えておこうと思い、カメラの裏蓋を開けると、中にはさっき撮ったばかりのフィルムが剥き出しであった。一瞬何のことだかわからず、しばらく裏蓋を空けたままフィルムを見つめた。事態を把握した瞬間、急いで閉めようとし、焦ってそのままカメラを地面に落としてしまった。すぐに拾い上げ、裏蓋を閉めた。震える手でフィルムを巻き上げた。必要以上に長い時間をかけて、まるで時間をかけることによって露光してしまったフィルムが元に戻るかのように、巻き切った後の「カラカラ」という乾いた音に変わってからも何度も何度も巻いた。巻き終えたフィルムを取り出し、空シャッターを何度か切ってみるとカメラは壊れてはいないようだった。アスファルトとぶつかった衝撃で鉄製のレンズフードがぐにゃりと歪んでいた。頭から氷水でも被ったかのように、酔いはすっかり醒めていた。


現像に出したフィルムは、6コマごとに切られてネガシートに入れられ戻ってくる。後日、万が一と諦め切れずに写真屋に現像に出したそのフィルムは、切られず、シートにも入れられず、丸まったロールのまま返された。「感光しちゃってたね」と、どこかうちには否がないからとでも言いたげな冷たい口調で渡された。お店にはライトボックスがあった。フィルムをライトボックスの上に置き、備え付けのルーペで覗いてチェックすることができるが、その場で見る気にもなれず店を出た。歩きながら丸まっているフィルムを伸ばし青空に透かして見た。そこには街も人も、ギタリストも何も写っていないただのフィルムの茶褐色があった。