阪本勇「猿と天竺」④





現場仕事を辞めた後、少しでも写真に触れていようと写真関係のアルバイトを求人誌で探した。アシスタントやスタジオマンなどという考えは頭になく、そもそも本やカメラ屋で聞いて得た程度の写真知識しかない僕が、そんなことをできるわけがないと思っていたし、一般の求人誌に載っている写真関係の求人と言えば、せいぜい子供相手の写真館か、DPEと呼ばれる町の写真屋のアルバイトくらいだった。二駅程離れたところにある写真屋の求人を見つけて電話し、履歴書を持って面接に向かった。その店は40分だか50分だかでフィルムを現像し、同時プリントもする、どこの町にもありそうなチェーン店の写真屋だった。


三十代半ばくらいの若い店長が僕の履歴書の学歴欄をボールペンでなぞり、「よく美大生とか写真学生が面接に来るんだけどね、奴ら変なプライドがあって使いにくいんだよ。君みたいに知識が無いくらいの方がちょうどいいよ」、と言われて採用が決まった。まさか無学が採用ポイントになるとは思っていなかったが、自分としてはそれがコンプレックスでもあったので、日がな一日カメラに触れたり写真の本を読んだりして勉強していたつもりの僕にとっては、面と向かって「知識が無い」と言われるのはあまり良い気分ではなかった。


研修を一日受けた後に店舗での勤務が始まるようで、後日、指定された大きな店舗に研修を受けに行くと、僕の他にも別の店舗で働く新人が十名程来ていた。言葉遣いや挨拶などの講習に始まり、写真に関する基礎知識やカメラの基本操作のレクチャーなんかもあったが、研修の中心は業務用カラーネガ現像機の取り扱い方についてだった。
撮影済みのフィルムから、フィルムピッカーと呼ばれる専門道具で巻き込まれたフィルムの先端を少し出し、その先端を両端にポツポツと四角い穴が空いている下敷きのようなプラスチックの板に液体の中でも剥がれない特殊なテープで貼付け、その下敷きを現像機に差し込む。下敷きに空いた穴はギア送り用のガイドになっていて、下敷きを差し込めば自動的にその下敷きは現像機の中に吸い込まれて行き、フィルムを引き出して機械の中を通って行く。現像機の中では発色現像液と漂白定着液が常にそれぞれ適切な希釈濃度、温度に保たれており、その液体の中をフィルムが潜っていく。五分程待てば、最後に水洗までされた現像済みのフィルムが顔を出し、それを吊るしてしばらく乾かしてから6コマづつに切り分けネガシートに入れる。
独学とは言え、白黒フィルムの自家現像や、自室にダークカーテンを張って暗室にし、赤いセーフライトの中でプリントまでしていた僕にとっては、これらの作業は退屈で仕方がないものだった。研修生を教える人が「サルでもできる」と冗談めかして言っていたが、本当に余程のことがない限り失敗をしようがないようにできていた。



故障や停電などで自動現像機が止まってしまうと、発色現像液の中で止まったフィルムは現像が進み過ぎて真っ黒になり、逆に漂白定着液の中で止まったフィルムは現像で出てきた像が薄れて消えていってしまう。なので、そういった緊急事態に備えての対応も練習させられた。現像機の横っ腹にある蓋を開けると、手回し用のハンドルがある。それを三秒で一周の一定速度で回してフィルムを送り出すと問題なく現像されて機械から出てくる。速過ぎてもダメで、遅過ぎてもフィルムに悪影響が出る。「いち、にい、さん」と研修生十人みんなで声を掛け合い、ハンドル回す練習を三十分ひたすら繰り返した。最初は僕も一生懸命声を出してハンドルを回したが、ふとした瞬間、「何してんねん、俺は」と興ざめしてしまった。


実際店で働き出してみると、僕が思っていたような仕事ではなかった。白黒フィルムや少しでも特殊なフィルムは全て外注で、写真のプリントも機械で色調や明るさを少し調節する程度で、写真について学べることなんてほとんどなかった。
それならばと、自分が撮った撮影済みカラーネガフィルムを勝手に現像し、少しでも店を有効活用しようとしたけれど、自動現像機は流したフィルム数がカウントされ記録されるようになっていて、数を誤摩化すことができないとわかって落胆した。



ある日、初老の女性がカメラを持って店に来た。作業をしながら、先輩アルバイトのWが対応しているのを聞いていると、どうやらカメラの中のフィルムを取り出したいが、やり方がわからず写真屋に持ってきたようだった。Wが、「無理です。できないんです」と断っていたので、近くに行ってそのカメラを見てみると、そのカメラは僕が使っているカメラと同じニコンの少し古いタイプのカメラだった。操作方法はたいして変わらないだろうと思い、「僕できますよ」と言うと、Wは怒ったように、「俺だってできるよ」と言い、「やっちゃいけないんだよ」と付け加え、初老の女性にカメラを返した。確かに研修では何があっても客のカメラに触れてはいけないと教わっていた。「フィルム自体は弁償できても、写っていた思い出は弁償できませんから」、と温度の低い語り口調で研修を進める中年社員の背中を見ながら、「何のための写真屋やねん」と感じたのを思い出した。肩を落として帰って行く女性を追いかけて行き、カメラを受け取り、巻き取られているのを確認してから裏蓋を開けてフィルムを取り出した。喜ぶ女性と一緒に店に戻り、そのフィルムの同時現像の受付をした。Wは注意もしてこなかったし、僕を見ようともしなかった。退勤時、タイムカードを打とうとしたら、「キミのそういう態度が気に入らないんだよ」というメモが貼られていた。体中の血液が一瞬にして頭に集まったように感じたが、Wはもうすでに帰っていたので怒りのやり場がなく、「きっとあいつはいい写真撮らへんのやろな」と思い、そのメモをそのままWのタイムカードに貼り付けて帰った。


プリントを失敗した写真は、他のゴミと一緒にせず、「ボツ」と書かれたそれ専用のゴミ箱に入れることになっていた。個人情報やプライバシーの問題なのか、いっぱいに溜まればそれらをシュレッダーにかけてから捨てていた。バリバリとシュレッダーに吸い込まれるのを見ながら、快感だと言って嬉々として写真を断裁し続けるWの姿はどこか空恐ろしいものがあった。風景写真などはあまり気にならなかったが、家族写真やペットの写真なんかが吸い込まれ、バラバラになっていくのを見ていると、何か罪よりももっと深い、畏怖のようなものを感じた。わざとシュレッダーのスイッチを途中で切り、半分バランバランになった子供の顔写真を引き出して笑い合っている他のアルバイトを見て、「あぁ、こいつらは写真の神様に見放されたな」と独りで震えた。写真の神様がいるかどうかなんてわからないが、正統な写真教育を受けていない僕には、精神論しか拠り所がなかった。「自分の意思ではなく刃物が動くのを見るのが恐いんです。先端恐怖症のようなものです」と嘘を言って僕はその作業から逃げ続けていたが、シュレッダー作業は人気作業だった為、咎められることはなかった。


プリントして渡してはいけない写真というのがあった。「公序良俗に反する写真」で、簡単に言えば性器が写っている写真や性交を撮った写真、俗に言うハメ撮り写真がそれだった。現像してそういう写真があった時は「公序良俗に反するような写真などはお返しできない場合があります」と印字されている紙を入れて返却することになっていた。恥ずかしいからなのか、始めから諦めているのか、それで文句を言う客はいなかった。僕が作業する時にそういう写真のネガに当たれば、全部プリントしてそのまま入れるようにしていた。写真を受け取りに来た場合、袋から写真を出し、一番上の写真を客に見せて、間違いがないか確認してもらってから渡すので、そういう写真があった場合、僕は一番下にして袋に入れていた。
受け渡し時、Wがカウンターで写真を落としてしまい、僕がプリントした「公序良俗に反する写真」を発見した。客の前で写真を落としたということと、そういった写真が出てきたことで、気の小さいWは慌てふためき回収しようとしたが、客が激怒した。「渡せ」、「渡せません」、の押し問答の末、写真はそのまま客に渡した。Wの口からその話は店長まで伝わり、僕はクビになった。



店をクビになったことは痛くも痒くもなかったが、写真の現場から離れたという事実は僕を焦らせた。何か振り出しに戻った様な気がしたが、写真に触れることだけが写真に繋がるのではないと自分に言い聞かせた。それは強がりではなく、その頃少しづつ固まりつつあった自分の写真観でもあった。魅かれる写真家は、表面的な技術云々というよりも、その写真の向こうに圧倒的な何かを感じさせる写真を撮る写真家が多かった。
再び求人誌を睨む日々が続き、ようやく居酒屋でのアルバイトが決まった。少し仲良くなったその店の常連さんに写真を撮っていることを言うと、「なんか賞でも穫ってるの」と聞かれて、「そういう道もあるのか」と気づいた。
それからは、写真コンテストという具体的な目標ができた。



居酒屋で使用する洗剤は業務用できつく、すぐに手が荒れた。
さらには写真の暗室作業でも手が荒れた。露光した印画紙を現像液を張ったバットに放り込み、赤いセーフライトの下でじっと覗き込む。像が浮かび上がってくると手を突っ込んで印画紙を指で擦った。自分の手で念を込めて直接印画紙を擦ると深い黒が出るという、何の根拠もない迷信めいたものを信じてひたすらに手を突っ込み続けた。現像液と言う化学薬品が皮膚に良いわけがなく、追い討ちをかけるように手はボロボロになっていった。
あまりにも手の荒れがひどいので、一度皿洗いの時、スポンジを持つ手を利き手の右手から左手に持ち替えたが、どうにも効率が悪く、仕舞には皿を割る始末で、すぐに戻した。手の平の皮膚が硬化し、乾燥している時に指を曲げると割れて血が出るような状態だった。コンビニなどの会計の際、手を見られるのも恥ずかしかったが、それと同時に、手がボロボロになればなる程、写真に近づいているような満足感があった。



そうして撮り続けた写真をファイルにまとめ、かねてから狙いを定めていた写真コンテストに出した。若手の二大登竜門と言われるコンテストのひとつで、そのコンテストの過去の入賞者には、今をときめく写真家が何人も名を連ねていた。
締め切りギリギリに郵便局に持ち込み、何度も郵便局員に消印を確認して発送した。郵便局を出た時はもう大賞をとったような気分だった。大賞をとり、華々しくデビューする未来を想像し、その日もアルバイトへ向かった。