善と悪 五通目 秦雅則→三野新 (3月17日)





光景、目を瞑る。


未だファシズムの残影見続ける、今日この頃。三野君は、如何お過ごしでしょうか?僕はあの豪雪の日からの数日間、あまりにも強い光(雪の白さが新たなる意味を持ち、神々しい太陽の光を反射している状況も含めて!)に目から殺され、屍のように硬直してしまった脳味噌は、全ての刺激を拒絶することしか出来ませんでした。そして、僕は愚鈍にも目の前の光景・光景をカメラという機械によって記録するだけのカメラマンへと成り果てていましたよ。それでも写真を生業としている者の定めなのか、目の前を通り過ぎている一粒の雪や雪の塊を写しこんでいく作業をしながらも、ふと片隅に生き残っていた人間らしい部分の反応・反応が僕に語りかけてくるのです。
ただ、それはとても不思議なことに、話の渦中にあるはずの雪について考えられた言葉ではなく「何故、白と黒とは違うのだろうか?」という単純であって奥の深そうな問いだったのです。でも、こういうものは奥が深いと思えば深いもので、浅いと思えば浅いものだと理解しているので、その問いが浮かんでくる度に僕は脳味噌の人間らしい部分に繋がるハブをまるごと切って、フィルムを装填し、シャッターをガン・ガンと押し続けていたのです。そんな不毛な?あけすけな?日々を過ごしていたところに三野君からの手紙が届いたので、とても嬉しくなりすぐに読ませてもらいました。そして、この往復書簡自体が断章・断章として書かれる偽の物語だな〜と思ったり、お互いの言葉の選び方の違いにどうでもいい面白みを感じたりしていました。そんな中でも一番に楽しませてもらった部分は、俗人としての三野君と修道者としての僕という、新たなる平行線の立場へと二人を置くことに成功した部分でしょうか。ただ、僕は聖人君子の髪の毛一本持っていないような人間なので、本当ならば俗人としてのキャラクターを得たかったんだけど。。まあ、今回は先手で良いキャラクターを穫られてしまったので、修道者としての写真家•秦雅則を出来るかぎり演じさせてもらおうと思っているところです。もしかしたら、途中で立場が入れ替わったり、消えてしまったりする場合もあるかもしれませんが、それは性善説と性悪説の持っている元からの矛盾であるということで、三野君も、この往復書簡を読んでいる観客の皆様も、寛大な気持ちで受け入れてもらえれば嬉しいなと思っています。



それでは、(秦雅則のノン・ノンフィクション劇場)開演・開演。


僕は、修道者である。名前はまだ無いと言いたいところだが…秦雅則という。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄明るいさっぱりした所でニャーニャーと泣いていたことだけは記憶…して…いる。
僕はここで初めて…雪というものを見た…?…本当に??



ちょっと、ストップ!ストップ!!幕降ろして〜。


はぁ〜。三野君、三野君。開演直後から一つ提案があるのですが、僕はキリスト教の修道者ではなく、仏教の行者でもなく、仙人に憧れている一介の農民というキャラではダメでしょうかね?それは、僕が性善説・性悪説というものを宗教的概念ではなくて、哲学や思想の中の一つの概念というつもりで使っていたからです。なので、もしもそれで話を進めていくとすれば、三野君は俗人といっても教養のある商人といった立場が話しやすいんじゃないかな、なんて想像しています。ただの俗人が、歴史を召還したりはしませんしね(笑)社会的・市民的教養は三野君が持ち、非社会的・非市民的教養を僕が持つということにすれば、前回の性善説と性悪説の話を引き継ぎながらも、新しい平行線を引くことが出来ないでしょうか?まあ、ダメだって言われても、今回のこの手紙では僕が勝手に捏造した台本で、断章としての物語をやらせてもらいますがね!!


それでは、再演・再演。


私は仙人になりたい農民である。(本番の幕が上がると、「僕」は「私」になり、「私」は「仙人になりたい農民」となった。)
何を隠そう、名前を秦雅則という。私は農民という自然に隣接した生業のためか、様々な自然現象を目にしてはその不思議さに心撃たれ、その現象を傍観しているだけでは物足りず、亀羅(かめら)という仙術道具を使い霊気ごと閉じ込めてしまい、静止画として平面に定着させたいと願うものである。まあ、世間では念写とも呼ぶがな。そして、奇しくも自然現象とは呼べない捨真(亀羅によって、現実そのものに見える静止画を平面に定着させたもの。捨てる真実と書いてしゃしんと読む。)という物質の持つ不可思議さに触れるたびに、頭撃たれているものでもある。今回、一連の話の中で、雪という自然現象が捨真という非自然現象に似ている部分があるという切り口から修行を行ってきたわけだが、対話の相手である商人の三野氏(「三野君」は「三野氏」になった。)との間には、やはり幾つか考え方・見方に相違点があるように思われる。それは、三野氏からも手紙で指摘された、自分自身に神を内包しているか、外延しているかという大きな意味で世界をどう捉えているかの差異にも繋がると想像出来るし、ただの個人・個人としての知識や経験の差異として片付けられるような小さな部分でもあると思われる。ただし、そういう差異を極端に肥大化させキャラクター化し、私は仙人になりたい農民となったわけであるし、三野氏は教養のある商人になったわけである。なので今更、現実世界での西洋美術史と亜細亜美術史の話や、大きな川が、古代文明が〜シルクロードが〜植民地時代が〜何々革命が〜1・2・3、世界大戦が〜!なんて話はしなくともいいと思うのだが、実しやかな話として、それらは金魚の糞のようにくっついてくるものだということを理解しておいてもらいたい。何かの話をするときに、何かの例え話や誰かが真実ととしている情報を添付しないと理解出来ないのが凡人というものであるし、不思議さを不思議だと思えないのもまた普通の大人模様であるのだから。その金魚の糞については、かの皇帝夫人の過剰なレースしたたれるドレス姿のようなものだと思い、目を瞑ってもらいたい。ただし、あの三野氏がレースしたたれるドレス姿の女性の扱いすらも上手なことに、至極感嘆し羨ましがっているというのも本音である。やはり、商人は社会的教養レベルが高いのだ。
では、社会的教養レベルの低い私は、この共同の修行においてどこに存在価値を持てるのかというと、やはり非社会的教養レベルの高さという部分においてだろう。個人的な内証を繰り返し・繰り返し、自分の中にある素朴な疑問を取り出していくこと。そして、その取り出した疑問について愚鈍にも自分自身の経験を主として考えていくということになるだろう。よって、私は美しい庭に腰掛けるのではなく、自然のままの原野を逆立ち歩きし、原罪についてではなく、自らの罪について考えていくことになるのである。一見として自らの罪について考えていくというのは、とても厳しい修行のようにも聞こえるだろう。ただし、実際のところは罪=快楽でもあるので、もしかしたら快楽として良い思いをすることになるかもしれない(ムフフ)しかしそれは、決して自らの行いを正当化するためのものではなく、虚無主義の賜物であると理解してもらたい。
それでは、今回の雪について、私の目と記憶と写真に残ったことに関して話を進めていきたいと思う。先ず手始めに、記憶の分野に属する話をさせてもらおう。それは何かと言うと、三野氏からの手紙の中に、災害としての雪を見たときに全体として捨真的だと感じてしまったというような部分があったのだが、私もその豪雪のニュースを耳にしながら同じようなことを考えており、その考えの重なり合いに驚いたという話だ。否、もう少しだけ正確にしておくならば、その手紙を読みながら私もそう考えていたことを思い出したから驚いたと言うべきだろう。私は、そのような刺激的な記憶すらも埋もれさせてしまうほどに、視覚的刺激を拒絶し人間らしい部分のスイッチを切ることに慣れているのだなと気づいてしまったのだ。それは、見続けることの慣れであるし、簡単に知れてしまうことの慣れであるだろう。
ただ三野氏は、私に驚きを与えてくれただけでなく、それを白のファシズムと名付け、私の投げっぱなしにしていた幾つかの問いに三野氏なりの答えを与えてくれた。そして、捨真的思考という部分に話を繋げていき、捨真家が撮影行為と鑑賞行為という二つの軸を同じ太さで持っているということを上手く説明してくれていたし、捨真家と捨真的思考の形式美についてだけではなく、その撮影行為と鑑賞行為という本来同時に交わるはずのない二つが怪しくも交じり合ってしまう感覚についても書いてあったように思う。それは、捨真家が世の中の可視化されている物や、自らの記憶の中にある物だけを相対化し作品を作っているのではなく、身体的状況による影響を避けられず、大きく原始的に撮影行為や鑑賞行為の軸を揺り動かすということだろう。そう、その身体的状況による影響というのは、まさに可視化された物と記憶の中にある物とを繋げる中間の概念であり、第三の視点、もしくはナニものかとの交わりだと考えられるのだが……。まだそれを、雪と捨真が似ているとする場合の「足りないシンボル」と呼ぶには曖昧すぎるのではないだろうか。私が、雪のことを捨真的だと感じているのを、三野氏の語っているアレやソレと全て同じだとは言いきれはしないし、未だに私の記憶の奥底に埋もれてしまっているナニかがナニなのかをサルベージしたい気持ちにさせられる一方である。(ただ、そろそろ仙人になりたい農民というキャラクターが薄れてしまっているので…)記憶の話をとりあえず置いておき、私自身が雪を凝視し捨真で記録したものを見返した結果という話をしていこうと思う。私は今回、雪を目の前にして初めてと言ってもいい形で雪を撮ることにした。たぶん、その原因にはこの三野氏との対話があったと思うのだが、もしかしたら、ずっと撮りたいと願っていたからこそ、こういう話を最初の段階から振っていたのかもしれない。そういう、偽デジャブや偽予知の感覚があるのも、私が仙人になりたい農民であるからだろうし、第三の私、もとい潜在意識・無意識のなせる技であろう。ただ、私が今回撮った雪の捨真は、視覚的経験における雪の印象とは全く違った趣きのものだった。私の目の印象では、雪はとても美しく純粋なる個としての白と見えていたのだが、今、見返してみると、私の撮っている雪は本当に醜いものばかりである。これは、あまりにも理不尽であり可哀想な話だと思うのだが、雪が降り積もり、邪魔者扱いされ、退かし固められている姿というのは、一寸の純粋さも感じられない屍のような姿である。否、まだ屍のほうが人に似ているだけ儚さを持っているが、雪のそれは何者にも必要とされず、何物としての名前も与えられない。ただ、自らの姿が消えて無くなるまでの仮の姿を、様々な汚れを受け止めながら変化させていく静的に見えるだけの淫乱な集団である。そして、それらの少しずつの差異から見えるふるまいは、あまりにもどれもこれもが惨めであり、明るすぎる太陽の反射光によって自らを光らせてはいるものの、決して血の通っているようなものではない。もはや、ただの集団となり、街の余白として姿を隠しているだけのようでもある。それは、三野氏が書いていた白のファシズムによる侵略や洗脳の後先ということになるのかもしれないが、あまりにも空しすぎる。あまりにも空しすぎる、と、思ってしまうのだが…まあ、それだけが全てではないし、ほんの少しの良い意味や良い捨真というものも、いつも片隅にはあるものである。ただ、私の見た雪と、記録した雪とには機械や身体の差という意味ではない差異が存在していると考えてはしまうし、そこにある空しさというものも「足りないシンボル」を探す手がかりになるのではないかと考えている。三野氏は自身の視覚的経験による雪と、例えば今回の場合で言えばテレビ画面上から伝えられる情報としての雪に差異を感じただろうか?私の記憶では、亜米利加で9.11が起こったときに様々な作品が生まれたのは当然のことだが、インターネット画像、テレビ画像を二次使用した作品が多くあったことも記憶に残っている。しかし、日本で災害や3.11が起こったときに、そのような二次使用といった作品があまり生まれていない(もしくは、あまり評価されていない)というような印象がある。これはただ単純に時代や出来事としての差があるだけなのか、日本という国や民族のありようなのかと考えたことがあったのだが、今回の雪の話が、偶然にも災害の話へと繋がっているようなので、三野氏の言うところの白のファシズムという言葉の真意や、今話をしたところの自身の目の前で経験をし風を感じながら撮る捨真と、風のない場所(例えば、室内等)で二次的に経験することを撮るという写真の差異について何か考えるところはないか聞いてみたいと思う。私は日本という素晴らしい場所にある、集団的島国意識と共に欧米の国々とは違う超現実的幻想愛と呼べるような価値観について、とても興味深いなーといつも考えているため、三野氏の立場からの話も聞いてみたいと思うのである。



それでは、これにて大胆に雑ではあるが、今回のお手紙を締めくくりたい。
丁度、色々な予定(田植えとか?)が重なり、返事するのに予想以上の時間をくってしまったが、こちらは体調等も崩さず元気にやっているので安心してほしい。では、三野氏からのお返事を楽しみに待っている。







終幕