阪本勇「猿と天竺」⑥





第六話




「東京では大阪弁モテるらしいで」。
僕が東京へ出る前、友人何人かで集まって大阪梅田のマクドナルドで話していた時に、一人の友人が僕に言った。
「そんなわけないやんけ。モテる奴はどこででもモテるし、モテへん奴はどこ行ってもモテへんねん」と僕が返すと、
「お前、東京に魂売るつもりやろ」とみんなに責め立てられた。
「当たり前やん。俺、東京行ったら標準語使うしな。もうこれからは”マクド”なんて言わへんで、”マック”やで」、とふざけたものの、しばらく彼女がいなかった僕は心中期待せずにはいられなかった。期待も空しく、東京へ出てもしばらくは彼女ができなかったし、浮いた話も何一つなかった。
大阪弁だからモテるとは思っていなかったが、僕自身が方言の女の子をかわいいと感じたように、大阪弁はもしかしたら武器になるかもしれないな、と思っていた。実際は武器になるどころか、足枷となった。



東京に出て最初に働いた工事現場では、ある職人に「おい、バイト。俺の前で関西弁使うんじゃねーよ」と言われた。その現場では通称「サンジュー」と呼ばれている通常の鉄筋よりも30センチ程長く、その分重い鉄筋があった。さらにサンジューは上下の表面に薄いビニールが貼られていたので、とても滑りやすく、誰もが運ぶのを嫌がる素材だった。その職人からは、サンジューが届いた時は必ず僕に運ばせるという嫌がらせを受けた。
後でわかったことだが、その職人のつき合っていた彼女が別の男に走り、その男が尼崎出身の男だったらしく、僕の大阪弁を聞くとその男を思い出し腹が立つようだった。
「俺、アマとちゃうし。大阪やし」とブツクサ言いながら、僕はサンジューを運んだ。



その後働いた居酒屋では、ある中年サラリーマンに嫌われた。
「東京で働いてるんだから、関西弁を使わないようにしなさい」と注意された。その中年サラリーマンは店の常連だったので、何度も何度も口撃を受けた。格好をつけたいのか、部下らしき人を連れてきた時、その口撃の執拗さは更に増した。「耳障り」と言われたこともあった。そんな調子なので、その中年サラリーマンは店員の中では嫌われていた。なるべく僕と触れ合わないよう、その中年サラリーマンが来た時は先輩や店長が率先して注文を取りにいってくれた。



一度、その中年サラリーマンの部下だけで固まって来た時に、会社でも嫌われているのだとわかった。部下の間では「タラコ」と呼ばれているらしく、そのあだ名は喋り過ぎてせり出したかのような下唇からきたのだということはすぐにわかった。「女と飲んだら全部払うのに、男の場合は部下でも割り勘なんだ」と教えてくれた。「本当はタラコとは飲みたくないのだ」とか、「タラコと飲んだときはラストオーダーが待ち遠しくてたまらない」とか、会話のほとんどがタラコに対する愚痴だった。
「ほんなら、そん時は合図してくれたらすぐにラストオーダー取りに行きますよ」と僕がいうと、部下の人達は手を叩いて笑った。
「じゃあ、三本指で手を挙げたらそれが合図」と冗談を言って盛り上がっていた。部下の人達は冗談が通じる気持ちのいい人ばかりだった。その翌週、その時の部下を一人連れてタラコが店に来た。呼ばれる声がして振り向くと、部下が三品指で手を挙げていた。小走りで行って注文を聞いた後、
「これでラストオーダーになりますけどよろしいですか」と聞くと、タラコは驚いて腕時計を見て、「まだ九時じゃないか」といぶかし気に言った。
「あ、すいません。時間間違えました」とすっとぼけると店長を呼んでこいと言われた。店長に訳を説明すると、笑って許してくれた。



タラコが女性と二人で来たことがあった。誰が見ても美人と判断するであろう25、6歳の女性を前にして、タラコはっきりと機嫌がよく、いつもより杯を傾けるペースが早かった。会話に耳を傾けると、女性はタラコの部下ではなく、どうやら仕事の取引相手のようだった。いつもより多く飲み、気持ち良さそうに酔っ払っていたタラコが注文をしようと手を挙げた。その日は週末でとても忙しく、ホールに出ている誰もが何かしら仕事を抱えていて、その時は僕だけが手が空いている状態だった。仕方なく僕が注文を取りに行くと、「こいつ、関西弁なおらないんですよ。俺、関西弁嫌いなんですよ、まったく」と、僕の顔を指差して言った。僕にはもちろん、部下や自分より歳上である店長に対しても横柄な態度をとるタラコが、僕とさして年齢が変わらないであろうその女性に敬語を使っているのには驚いた。相当にその女性を気に入っているようだったし、その女性にはそれだけの魅力があった。


その女性がトイレに行くついでに僕のところへ来て、ビールを二つ注文した。
「さっき気分悪かったね、ごめんね。私は好きだな、大阪弁」と言ってくれた。二人が帰る時、やはりタラコが女性の分も会計を支払った。出て行き際、タラコが先に店を出ると、その女性は振り返り、「また来ます」と言って僕に手を振った。その日は仕事中ずっとその女性のことを考えていた。家に着いて寝る頃には、次にあの人が店に来たら絶対にデートに誘おうと心に決めた。それからしばらくは、下見も兼ねて東京のデートスポットを一人で訪れ、その人とのデートを夢想した。ある日、池袋のサンシャインシティに行くと、その中に水族館があることを知った。ビルの中に水族館があることにも驚いたけれど、案内を見るかぎりなかなかに広そうで、中にはマンボーもいると案内板に記載されていた。どうしてもマンボーが見たくなったが、デートはこの水族館にしようと決め、その日は入館せずに帰った。想像の中では僕は百戦錬磨のごとく振る舞えていたし、予行演習等しなくても万事上手くいく自信があった。
しばらくして、その女性が店に来た。タラコとではなく、友人とではなく、一人でもなく、タラコと同じくらいか少し上の年齢の別の中年男性と二人だった。端から見れば親子と言ってもおかしくない程の年齢差ではあったが、二人が醸し出す雰囲気や表情は、明らかに恋人のそれだった。後日、僕はカメラを持って一人でマンボーを見に行った。



しばらくして、そんな僕にも彼女ができた。東京に出て来ている高校時代の先輩に呼び出されて行った時に、その場にいた人だった。
僕はその人と数回デートを重ね、交際を申し込んだ。その子が頷いた時には狂喜乱舞しそうになった。その晩、地元の友人から電話がかかってきた。毎度のようにされる、「誰か芸能人に会ったか」というミーハーな質問に、「芸能人はまだ見てへんけど、そんなことより彼女できたで」と言った。「おお。やったんか」と聞かれ、「まだや」と応えると、「いつ機会あるかわからへんし、コンドーム用意しとけよ」と言われた。「わかってるがな」と応えたが、コンビニでコンドームを買うことを想像するだけで興奮した。僕は二十歳を過ぎてまだ童貞だった。僕は友人や先輩から「ヤラハタ」と笑われていた。ヤラハタとは、セックスを経験せずに二十歳をむかえるということで、ヤラずに二十歳を省略した俗語のようなものだった。僕は自分がヤラハタだということを彼女に隠していた。



つき合い始めて三ヶ月程経った。彼女は大学の寮に住んでいたので泊まって帰ることはなかったけれど、僕の部屋にはもう何度も来ていた。合鍵も渡していたので、僕が仕事でいない時にも時々来ていて、帰ると置き手紙やお惣菜を作っておいてくれることもあった。その置き手紙が一文字でも二文字でも、どんだけ短い手紙でも嬉しくて捨てずに全部大切に取っておいた。三ヶ月も経ってまだセックスをしてないことを知った友人から、「早くしないと彼女待ってるぞ」と焦らされた。
ある日の帰り道、突然の大雨に降られ、干しっぱなしの洗濯物を心配し、濡れながら走って帰ると彼女が部屋に来ていた。渡されたバスタオルで顔を拭いていると、畳の上に丁寧に畳まれた洗濯物が目に入った。取り入れてくれていたことに安心し、ふと外を見ると、すりガラス越しにまだ洗濯物の影があった。「あれ」と思って急いで取り入れ、「なんで全部入れてくれへんかったん」と、少し苛立って言うと、「だって、、、」と、黙って下を向いてしまった。しばらくの沈黙の後、「ごめんなさい」と、絞り出すように弱々しい声で、彼女はつぶやいた。取り入れた洗濯物をよく見てみると、残されていたものは全てパンツで、その他のものは全て取り入れられていた。経験が無いのは僕だけでなく、彼女も同じだったのだ。ぎゅっ、と心臓が締め付けられるような気持ちになった僕は、たまらなくなって彼女の上に重なった。彼女のパンティーを脱がして傍らに放り投げると、丁寧に畳まれた僕の洗濯物の上に重なった。僕も服を全て脱ぎ捨て、彼女を引き寄せると、彼女は僕の目を見ずに、「つけてほしい」と言った。パンツ以外の衣服を、脱ぎ捨てたのと逆の順番で着て、僕は一人、雨の中コンビニへ急いだ。