2014年7月14日~9月22日


台湾の入国審査では、パスポートにスタンプを押された後、小型カメラの前に立ち顔写真を写された。そしてニッコリと日本語で「ようこそ」と言ってくれた。 台湾桃園国際機場からシャトルバスに乗り、台北駅で降ろされた。中山北路にあるゲストハウスまで歩いた。夕立ちに降られ、到着した頃には靴の中までずぶ濡れになった。冷房が効いた清潔で快適な宿で、1泊1300円くらいの台北ではここが一番安かった。シャワーで汗を流し、着替えてから宿の周辺を探索した。 街の雰囲気がどこか東京と似ているように見えた。ファミリーマートもセブンイレブンもある。馴染みのチェーン店や、日本人駐在向けのラウンジもあった。何も知らずに来たけれど、どうやらここは日本人街らしい。オーガニック系の落ち着いた雰囲気のカフェに入って、アイスコーヒーを注文した。これからこの国でどうしようか考えないといけない。のんびりしている暇はなかった。面識はないが日本語を話す台湾写真家の吳さんと、以前からSNSを通じて交流をしてい て、メールで事情を説明し、台北でヌードモデルを紹介してもらえないか訊いてみた。返事はすぐに返ってきて、快く引き受けてくれた。見つかり次第連絡をくれるそうだ。吳さんからの連絡を待つ間、自らも街を繰り出し、モデルハンティングに出かけた。台北の中でも若者が憩う、最もクールとされている遊び場を調べた。昼間は芸術関係の施設や学校を訪れ、夜は流行りのナイトクラブに出向いた。台湾は素朴な若者ばかりと勝手に想像していたが、クラブで踊っている若者は、上海の若者と比べて垢抜けているように見えた。台北市が運営する文化施設のレジデンス審査が通ったので、アーティストとして滞在できることになった。 一泊400円くらいで、冷房、シャワー、トイレ付きの個室で申し分なかった。台湾に長く滞在するつもりはなかったので、2週間の滞在を申請していた。夜は近所のクラブに通い、この街の若者に話しかけたり、少しでも台湾について知るための調査をしていた。宿に帰って眠りにつくのはたいてい明け方になった。目が覚める頃はいつも夕方だ。食事はもっぱらコンビニ弁当。不規則な生活に、体が怠くなって気分が鬱々とし始めた。街を繰り出しカメラを持ち歩いても、撮れる写真は夜の黒々しい写真ばかりで、見返すと暗い気分に陥る。一人旅にも少し慣れてきたのか、なんとなく寂しく感じる日もあった。旅先で出会った若者と交流をしても、旅行者の域を超えた付き合いは難しい。なんとなく安らげるような気分をもとめていたので、地元の学生が利用している、ちょっとダサいめのクラブに行こうと思った。バーカウンターの端の方で誰に話しかけるわけでもなく、フロアーの様子を眺めていた。日々の暑さや、旅の疲れが溜まっていたせいか、 気分が悪くなってきた。終電はすでに過ぎていたし、仕方なくタクシーに乗ろうと思ったけれど、現金を持っていなかった。ようやく見つけたATMは僕が持ってるカードに対応していなかった。歩いて帰るには遠すぎる距離ではあるが、仕方ないので宿の方角を目指して歩いた。そんな時に僕は良からぬことを思いついた。目の前に鍵が付けっぱなしのスクーターがおいてあった。これがあれば直ぐに帰れるだろうなと思いつつ、一度は通り過ぎたが、やっぱり明日また返しに来ればいいじゃないかと、自分に言い聞かせ、ちょっと拝借しようと思い、引き返した。鍵を回しエンジンを起動させてみると、ブンブブーン!と吹かし、静まった夜の町を一気に駆け抜けた。夏の夜風に気分は爽快だった。笑いが込み上げてきた。昼夜逆転した生活の鬱々とした気分や身体の疲れも吹っ飛んだ。部屋に戻りシャワーを浴びても、まだ少し興奮していて全く眠れなかった。屋上の屋根に登り、高速道路と大きな川が横切る、橙色の街灯で照らされた夜景をしばらくの間、眺めながら煙草を吹かした。吳さんからメッセージが届いていた。モデルがみつかったらしい。その日の夜、吳さんとモデルを希望したスーさんと、カフェで落ち合って、撮影の詳細について話した。彼女は日本式のSM緊縛モデルや、サスペッションと言って背中の肉に金属のフックを貫通させて引っ掛け、天井から吊るされながら振り回され、空中遊泳をするような変態的なショーイベントに出演しているようなパフォーマーであった。人前で裸になることには慣れているようだった。その後、吳さんの教え子や彼の友人の写真家と合流し、皆でお酒を飲んだ。スーさんとは帰る方向が同じだったため、一緒にタクシーに乗っ た。宿泊施設の近くでタクシーを降りると、別れ際にスーさんが僕の唇にキスをした。彼女はお酒に酔っていて顔が赤くなっていた。驚いて呆然としているうちに彼女を乗せたタクシーは走り出した。台湾もようやく面白くなってきたなと思いながら、上機嫌で部屋に戻った。しかしまだスクーターを施設の近所に置きっ放していた。明日こそ、元の場所へ戻しに行かなければ。。。調子にのっていたのだろうか、もしもこのスクーターで台湾島を一周して、女の子をバイクの後ろに乗せてどこか旅にでも出たら、ロマンチックなんじゃないかとか、ありもしないことを想像した。目が覚めたらすでに夕方で、今夜こそ、深夜の寝靜み返った頃に、こっそりバイクを返しに行こう。まだ少し早いので、近くの市場のカレー屋で夕暮れに食す朝食なるものを摂ることにした。一度施設に戻り、夜が更けるのを待った。23時頃、バイクを置き戻しに向かう前に、夜更けの昼食なるものを食べるため、コンビニに行こうと外に出た。途中、暗がりの向こうから 懐中電灯を持った2人の男がこちらに近づいてくるのが見えた。施設の管理人らしき人も一緒にいて、彼が僕を指差し、何かを言っているようだ。それから懐中電灯を持った2人が、声を荒げながら僕の方へ足早に向かい寄ってくる。懐中電灯の光が僕の顔を照らし眩しい。ふたりは僕の前で立ち止まり、両側から腕を掴み強引に引っ張った。そのまま管理室に通され、机の前に座らされた。彼らは警察官だった。ようやく事態を把握した僕は、あぁそうか。。。バレてしまったのか。まじかぁ。。。でもどうやって?しかし最悪な事態や。俺の旅もここで終わりかと思った。警官から彼のスマホの画面を見せられ、防犯カメラから写されたであろう画像に、バイクに乗っている僕が写されていた。それを本人確認のために見せられた。警官に「これは君か?」と訊かれて、違います、僕ではありませんと言いたかったけれど、残念ながら、そこに写っていた僕が着ているTシャツと、今僕が着ているTシャツが全く同じだったことから、言い逃れできる状態ではなく、「はい、私です。」と白状した。こんな時、親切にも警官は、君には弁護人を 立てる権利があるがどうするかと訊いてくれたが、そのような知り合いはいないので、結構ですと断った。パトカーに乗せられて僕は警察署に連行された。署の取調室に着いたのは24時が過ぎていて、日本語を話す警察官が来るまでここで待つようにと伝えられた。若い警察官がお腹をすかしているなら、コンビニで弁当でも買って来るよと言い、何が食べたいのか、食べれないものはないかなど、親切にもいろいろ訊いてくれた。あれこれ細かく注文できるような心境ではく、 なんでも良いですと言って、お金をいくらか渡した。待っている間、いろんなことを考えた。多額な慰謝料か刑務所行きか、今後の入国審査に前科の烙印が押されるのではないか。旅を続けれるどころではないと思った。後悔の念に駆られたけれど、悔やんだところでどうにもならない。すべて正直に話し、留置所に入れられるならそれも覚悟をした。そして若い警察官が、日本人だと気を使ってくれたのか、透明ケースに入った、簡易うどんを買ってきてくれた。そうしているうちに日本語を話す警察官がやってきた。とても流暢な日本語で、思わず日本語が上手ですねなど、悠長なことを言ってしまった。日本に7年ほど住んでいたらし い。事情聴取が始まり、出身地を聞かれた時に、その警察官が驚いた反応を示し、その警官が当時通っていた語学学校の近所だと言った。事情聴取が一時的に中断し、偶然旅先で同郷の人に出会ったような、互いに何か親近感を覚えるような、このような状況にも関わらず、共通の話題に話が盛り上がった。偶然の出会いに興奮まじりに話すが、僕のこのような状況で出会ってしまった事実に、大変申し訳ない気持ちになった。高揚した気分から一気に落胆し、ふたりの間に何とも言えない気まずさに襲われた。警察官もまた僕のこの哀れな状況を見て同情し、彼の表情からとても残念そうな感情が見て取れた。すこしの沈黙の後、警官のその悲しげな眼差しで「なんで君はこんなことをしたの?」とため息まじりに訊かれた。そして、体調が悪かったこと、ATMが利用できなくて、お金を降ろせなかったこと、終電が過ぎていたこと、元の場所に戻すつもりでいたことなど、事情を事細かく説明した。本来なら共通の話題で仲良くなれたはずの人だが、このような関係である以上、余計に悲しくてならなかった。事情聴取を終えて、帰されたのは深夜3時頃だった。留置所に入れられたり、誰かに迎えに来てもらわな いといけなかったりするのかと考えていたが、普通に帰されてしまった。裁判での結果が出るまで僕は台湾を出ることを許されなかった。2週間以内で出国する予定でいた台湾も、いつになれば出国できるのかも解らなくなった。警察署から解放されたものの、ここが何処なのかも分からなかった。どうやって帰ればいいのか、静まり返った広い交差点には誰1人歩いていなかった。勘を頼りになんとなくの方角に向かって歩き、標識が示す地名の漢字を読みながら、見覚えのある 景色へ向かい、ようやく辿り着いた頃には、陽が昇り、明る朝がやってきた。帰ってゆっくり寝てる場合でもなかった。なぜならこの日は15時からスーさんとの撮影を予定していた。撮影のために気持ちを切り替え、集中力を高めて、撮影に挑まなければいけない。このような動揺した精神状態では集中できないので、 仮にも一時的に昨夜の出来事を忘却し、無かったことのようにしてしまい、新たな気持ちで気分を切り替えて、撮影に挑まなければならなかった。撮影に備え、 睡眠をとり、起きたら身支度を済ませて、待ち合わせの場所へ向かった。そこにはスーさんと、となりに金髪に染めた女の子がいた。名前はジンと言った。彼女は台北で最もクールなクラブPIPEでテクノDJをしている。急遽、彼女もヌード撮影に参加したいとのことになった。撮影は彼女たちの共通の友達が始めた ばかりの古着屋で行われることになった。ガレージのようなスペースにヴィンテージ、60~70sサイケ柄の洋服、雑貨、昔懐かしい少女漫画風イラスト、アンティーク家具など、店全体が煌びやかに装飾されている。かつて日本で流行った古着屋が、今になって台北にも現れだしたのだろうか。原宿ファッションを想起させるカラフルで安っぽく、幼稚で幼い平和と豊かな暮らしに狂った、東京のひと昔前のユースカルチャーから生まれたものだろう。僕が10代の頃に流行っ たもので、僕が年をとっただけなのか、もしくは震災後の日本の変化を目の当たりにしてしまったからなのか、僕にはあまり現実味がないファッションに思えていた。しかし、この台北の若者達には違和感なく、しっくりきて見えたし、とても似合って見えた。撮影準備をしていたら、タトゥーだらけの若い2人の男が 入ってきた。彼らはジンさんの友人で、リンとセブンと名乗った。2人は美容師だ。彼らもモデルをやるために急遽参加してくれることになった。予定していた 人数よりも多くの人が撮影に協力してくれて、おかげで沢山の写真を撮ることができた。


施設に移り住んで2週間が過ぎようとしていた。滞在期間の延長は受け付けられなかった。こんな事態になってしまっても、すぐに追い出されなかっただけでも良心的だ。裁判所から手紙や連絡があれば直接僕に連絡してくれるとのことだった。いつになれば裁判所から連絡がくるのか、いつまで僕は台湾で過ごさなければいけないのかも全く分からない。出来るだけ安く泊まれる部屋が必要だ。以前クラブで知り合った気の合いそうな若者に事情を説明し、誰か部屋を提供してくれる人はいないか、彼らの友人に紹介してもらうことになった。訳ありの僕を快く受け入れてくれたのは若くてカッコよく、キュートでラブリーなカップル、シーフーとジョジョだった。忠孝復興MRT駅に22:00、仕事帰りのジョジョと待ち合わせ、彼らの家に向かった。彼女はとても美人で、アパレル系の販売員をしているだけにとてもオシャレだ。彼らが住むアパートは台北101のある象山駅から程近い。開発が進んだこの街でも、山のふもとに行けば下町特有 の雰囲気が今も色濃く残っている。彼らが住むアパートには、ルームシェアをしている台湾写真家のハン君と猫がいた。お互いの作品を見せ合って、写真について話し合った。翌日には、ジョジョのボーイフレンドのシーフーが帰ってきた。一緒に近所の食堂に行き話をした。彼の仕事はグラフィックデザイナーで、いつもたくさんの友達が集まる魅力的なカップルだ。彼らと一緒に河原でBBQをしたり、カラオケに行ったり、クラブに行っては明け方まで遊んだ。以前モデルをやってくれたリンとケビンが勤める美容室が、かなり個性的で面白いらしいので訪ねてみた。その店の地下には大きな部屋が2つあって、ソファ、テーブル、プロジェクター、スクリーン、ビデオゲーム、展示スペース、スピーカー、楽器などあり、ギター弾きや詩人、若い芸術家たちが好き勝手に遊び、溜まり場になっ ていた。不定期で展覧会やミニライブが行われている。犬が店内をうろついていたり、接客中の美容師の間を、僕や客でもない誰かが行き来している。こんな自由な美容室は他に見たことがなかった。中国語が話せない僕はアウェイ状態ではあったが、浮いているからと言って気にする必要はないくらいこの場所は何者でも許された。派手に着飾った物好きな台北の変わり者たちが憩い、日々何か刺激をもとめている。この場所で知り合ったディーディーという女の子は、短髪で横を刈り上げ、前髪は短くパッツン、幾何学模様の不思議な柄の服を着ていて、中でも目を引く存在だった。話をしていて、どこか醒めたクールな印象があった。 そして彼女は僕の写真のモデルをしたいと言った。後日、彼女の自宅へ撮影に伺うため、教えてもらった住所に着いてみると、そこには大きな屋敷があった。彼女が住む豪邸の規模に驚きつつ、到着したことをディーディーに伝えると、スッピンのまま家から出てきて迎えてくれた。僕の勝手な想像では、彼女の家は古く てエレベーターの無いボロいアパートのワンルームに、刺青だらけの厳つい兄ちゃんと同棲していそうなイメージで、どちらかというと、そういう状況を覚悟し ていた。彼女のお父さんはお医者さんだという。広くて天井の高い玄関で、台湾の先住民か、あるいはベトナム系の肌の浅黒いメイドさんが迎えてくれた。このような家庭は、僕の身近な交友関係には未だかつて無かった。僕の地元の古い友達はだいたい下ネタが好きで、あおばな垂らした下品なやつが多い。近くに大きな病院があったから、きっとお父さんはそこに勤めているのだろう。案内された彼女の部屋は、南国のリゾートホテルみたいな内装で、大きなふかふかのベッドがあり、生活感はない。彼女は何のためらいもなく服を脱いで全裸になった。とてもリラックスしている。僕の方が気持ちの切り替えが出来ていない。撮影の準備が整い、徐々に撮影は始まった。ただくつろいでいる彼女をなんとなく撮っていた。なにかが起きるのを待ちながら、僕は様子を見ている。写真家には人それぞれいろんなやり方があるが、この旅ではセッティングして撮ることはしなかった。日常を超越した異様な体験を望んでいる。彼女は小袋の中から、独特なまろやかな香りがする乾燥した葉っぱが細かく砕かれたものを取り出し、それを薄い紙に包み、厚紙をフィルターの代わりにして、先端に火をつけ、それを深く吸い込んだ。しばらくそれを肺の中に溜め込み、煙をゆっくり吐き出した。閉ざされた部屋の中でその煙がふんわり漂い、宙に浮かんでいる。とろけるような目で彼女はそれを僕に差し出した。それは強烈だった。撮影どころではない。身体を動かしたり、思考する余裕も無い。どうでも良くなった。視界がぐるんぐるんに 回り、ベッドに沈み込むように眠り落ちた。しばらくして、ベランダでディーディーが電話で誰かと話している声で目が覚めた。まだ気だるいままで、起き上がる気になれず、また眠ることにした。目が覚めた時にはもう夕方だった。ディーディーは化粧をして部屋に入ってきた。よし、撮影を再開しよう。凝り固まって いた脳が解されたような、緩やかに気分は良かった。撮影に入り込むには大して時間はかからなかった。撮るべき瞬間に迷いはなく、身体的に確信を持ちながら反応し、シャッターを切っていた。このような肉体のリズムは、モデルに伝わるもので、これまでにも何度も経験してきたことだ。その様子がモデルの写真の表情となって表れ、互いに影響し合い、循環する。興奮状態はこの静かな空間でさえも、体感する時間の速度をよりいっそう速める。


しばらく台北から離れようと思った。街の雰囲気が東京と似ていた。どうせならもっと南がいい。高雄に行こう。これまでの旅での出来事を忘れないうちに書き残したいと思っていた。しばらく南の地でのんびりしよう。ジョジョが高雄行きのバスを調べてくれた。バスは電車よりも安い。大きな座席シートでクーラーも 効いていて心地が良かった。サービスエリアにも寄りつつ、5時間ほど走って到着した。高雄に降り立った時の印象は、建物や看板は潮風のせいか傷んでいたり 錆びて汚れていた。街行く人々が着ている服装も全体的に安っぽくて古そうに見えた。駅の公共施設内は、蛍光灯の電力が弱いのか、もしくは電灯の数が比較的少ないのか、電灯を覆うプラスティックのカバーの劣化による色の変色が、空間全体を照らす光を濁らせて、曇天下の景色のように、視界が重々しく見えた。こんなふうに感じるのは、これまでしばらく台北のような綺麗に隅々まで舗装され、手入れされた都市にいたからであろう。この感覚は僕が東京に住んでいた頃、大阪の実家へ一時帰省していた時に同じようなことを感じたことがあった。そのせいか、こんな薄ら汚い町にもなんとなく親しみを覚えた。このへんのゲストハ ウスは値段が高かったので、airbnbでアメリカ人が貸してる部屋をブッキングしていた。彼と連絡を取り最寄り駅までスクーターで迎えに来てくれた。しかし、彼の手違いで部屋に空きがなく、結局、彼の友人のウクライナ系ドイツ人マックスの部屋に住むことになった。マックスは酒が入ると、ことあるごとにロシアを罵っては叫んでキレていた。彼はとても短気だ。チンピラみたいなやつだけど、シラフの時は案外いいやつで、よく一緒にビーチに行ったりビリヤードに 出かけた。それ以外の日は近所の広くて明るいテラスのカフェで、朝から晩まで文章を書いた。マックスの彼女ミヤコが親日台湾人で、彼女が一人暮らしをして いる台南を観光案内してくれるというので連れて行ってもらった。城跡地や地元の名物料理や台湾式しゃぶしゃぶなど、たらふくご馳走になった。その日は彼女が住むアパートに泊まることになった。寝床が一つしかないので同じベッドに寝ることになったが、彼女はまったくその気はないようだった。上の階の住人の声が聞こえてきて、それがだんだん女の甲高い声になった。どうやらおっ始まったみたいで僕らもなんとなく意識せざる得ない空気になったが、彼女は完全に背中を向けているし、マックスも怒るだろうし、大人しく寝ることにした。彼女が住んでいるアパートの非常階段の壁面が何となく気に入ったので、そこに作品用に文字を書いた。それを写真に複写するようにして写真に写した。そのうちそこの住人が日本語の落書きに気づいて不可解に思うだろう。日本から友人が遊びに来 てくれたので高雄に戻って合流した。旅に必要な物資を届けてくれた。台湾の南西にある小琉球という離島を観光した。ここは海がとても綺麗で天気もすごく良かった。日差しが強く肌の大部分が日焼けをして黒くなった。そしてお気に入りのカフェでまた朝から晩まで文章を書いた。集中できるまで時間はかかるけれど、こういう時間はとても良い気分だ。


台北で出会った女学生が夏休みに高雄の実家に帰省していたので再会した。浜辺やお寺を巡って観光したり、廃墟に忍び込んだり、高雄の名物料理を一緒に食べた。彼女は詩を書くのが好きだった。感受性が強くとても繊細だった。何気ない会話から、言葉の意味を読み解き、生きることについて考え、彼女の歓喜に満ちた表情や眼差しに癒された。ある日、カフェで文章を書いている時も、彼女は実家から1時間ほどかけて、わざわざ僕に手紙を渡すためにバスと電車を乗り継いで会いにきてくれた。彼女にとって言葉が何よりも大事なのだろう。それから暫くして彼女の夏休みは終わり、そして僕が台湾を発つ数日前、台北象山駅の近 くの公園で会った。とくに会話もなくて、何を話していいかも分からなかった。僕はベトナムに向かう準備をしていたし、彼女も新学期が始まっていた。互いに今までとは別人のような感じがした。夏の終わりはいつも不思議とこんなものだった気がする。


裁判所から封筒が届いたので、施設の従業員から受け取りに来なさいと連絡があった。さっそく台北行きのバスを予約して、マックスに台北に戻ることを伝え、 直ぐ荷物をまとめて高速バスに乗った。再びジョジョとシーフーの家に戻った。施設の事務室へ封筒を受け取りに行った。すべて中国語で書かれていて読めない のでスマホで写真を撮って、ジョジョに送って訳してもらった。8月29日午前10時に台湾台北地方法院という裁判所に来所するように命じられていた。ジョジョも以前障害罪で裁判沙汰になったことがあった。彼女の場合、裁判の結果、30万円相当の慰謝料を払うか、もしくは1ヶ月間の刑務所に拘禁されるか言い渡され、彼女は慰謝料を払って解決した。もし僕が犯した罪がそれと大差の無い判決なら、僕は30万円の慰謝料よりも刑務所を選ぶつもりでいようと決めた。もう調子に乗るのは止めようと思った。僕は旅に出たことで、社会のしがらみから解放され、上海のカラオケ店で起きた事件然り、自ら危険をおかし精神的ショックを与えたことで、生きることにリアリティを欲していたのかもしれない。裁判当日、案内された部屋の前で呼ばれるまで待機するように言われた。そして台湾人の日本語通訳者がやってきて、身元確認や裁判の一連の流れなど説明を受けた。彼は一切の感情を交えない話し方をし、どこまでも事務的だった。ドアが開いて、女性の裁判官に部屋の中へ通された。おおよそ7㎡くらいの小さな部屋で、裁判官は部屋の中央の大台の少し高い位置で腰をおろした。原告者が後から中に通され、僕の左側の席に座った。年齢は僕と同じくらいに見えた。裁判官が、訴状答弁書を読み上げ間違いはないか、これから真実のみを話すことを誓い、書面にサインをした。事件当時、自分は体調を崩していたこと、現金を持っていなかったこと、終電が過ぎていたこと、宿泊先まで遠かったこと、後日それを返しに行こうとしていたことなど、詳細に事情を説明し、その場で原告に自分の過失を認め、謝罪した。自分を正当化するようなことは一切言わず、裁判の結果を受け止めようとしていた。そうすると通訳者の人が、ため息まじりに「そういうことだったのか…」と、僕に同情をした。裁判官はそれに対して原告は被告に対して何を求めるかと尋ね、原告は僕に対して「許す」と言った。通訳者は驚いた声を漏らし、裁判官は、僕に不起訴を言い渡した。これまで事務的だった通訳者は嬉しそうに「君、不起訴だよ!良かったね!すごいよ!」と言った。そして改めて原告者にお礼と謝罪をし、彼は「次から気をつけるように」と言って帰っていった。通訳者は、このようなケースで不起訴をくだされるようなことは今までにないと言った。僕は状況をまだ飲み込めずにいて、通訳者に何度も訊いて確認をした。通訳者は「多くの人はなんとか言い逃れようと自分の潔白を証明しようとする。しかし君は過失を認め自ら謝罪をした。それが裁判官にも良い印象を与えたんだ。君はとてもラッキーだ。裁判官も原告もみんな優しかった。これで、もう君は台湾から出国していい」と言って、僕の肩をポンっと叩いた。みんなにお礼を言って僕は裁判所を後にした。なかなか信じられないが、これは現実だ。旅は続けられる!外は日差しが強く、白いタイルの地面やビルディングが眩しく照りかえす。 空は青々としていた。興奮がおさまらないまま、何処に向かうかもわからず、ただひたすら前へ足早に歩きつづけた。心配してくれていた友人たちに報告をし た。心から喜んでくれていた。本当にありがたいと思った。この気持ちはずっと忘れずにいよう。