vol.0「サムチュンZEROハラボジ」

2014年6月25日(水)


2014年4月22日、韓国から海外を放浪する旅が始まりました。これまで私は写真家として人の裸身を写真に撮り収め、作品を製作し発表してきました。旅先で出会った人々の、服を着ていない状態、人間の本来の姿を写真に記録しようと、日本から旅立つことを決意しました。最初に九州大分県の祖父母の実家を訪れてお墓参りをした後、韓国で生まれ育った祖父が船に乗って日本へと渡ってきたように、私もまた博多港から船で朝鮮半島へ渡りました。祖父の異国の故郷を訪れ、血縁をたどり、先祖に挨拶をして私の旅は始まりました。


祖父は1926年頃 韓国(朝鮮)全羅南道興高郡に生まれ20歳で日本へ渡った。在日韓国人二世の祖母と、大阪で出会い婚姻。 3女3男の子をもうけ、1968年に癌を患い他界。それ以来祖国の親族とは音信不通になっていた。2002年春、戸籍に記載された祖父の出生地を頼りに、母と叔母が韓国の親戚を探すため全羅南道興高郡の町役場を訪ねた。その日は祝日「両親の日」だった。町の公民館には祖父と同世代のお年寄りが集まっていて、偶然にも祖父を知る人物と居合わせた。役場を通じて長年消息が断たれていた祖父の姉、その親族らと出会った。同年秋に父母姉と私は、改めて韓国の親族を訪問し、それ以来、国境を越えた本家との交流が始まった。


このひとり旅で僕が祖父の故郷を再訪した時、12年前に祖父の姉とその長男夫婦とその子供が暮らしていたアパートは既に引っ越してしまっていた。また町役場を訪ねて現住所を調べてもらい、ようやく親戚と再会を果たした。祖父が生まれ育った故郷の新虎里に訪れた。前回訪問時に残っていた祖父の実家の古屋は取り壊され新しく家が建て替えられていた。そこに今は祖父の姉の娘が住んでいる。周辺は田んぼだらけで、祖父が暮らしていたであろう当時の土壁に刻まれた古い子供の落書きを見て祖父の幼少時代を想像した。先祖の墓は雑木林の奥にあって、あぜ道を通り抜けた山のふもとにある。墓周辺に生えた雑草を引っこ抜いて汚れた墓石は水で綺麗に洗った。汗が滴り落ちるほど暑かった。しばらく墓を眺めていた。墓石に向かってカメラを構え、先祖に話しかけるように時間をかけて写真を撮った。水で濡れた墓石の表面は、ストロボ発光によって照らされ、涙が流れているように見えた。写真を撮影する事で、先祖の霊と対話しているような感覚になった。今まで生きてきた31年間の行いに何か区切りがついたような気がした。疲れていた身体と精神が清められていくような、得体の知れない何かから解き放たれるような感覚。僕は一からやり直そうと思った。自分のこれまでの行いは、どのような力を持って何に影響を及ぼそうとしてきたか。自分という幻影を捨て去ろうとカラッポになった。時間は無限に絡み合い交差し、変速を繰り返し気まぐれで予測不可能だ。永久に続く真実と、人それぞれの真実が混ざり合う時、起こるべき事象に身を委ね、後は自然に任せよう。それに同調すれば後は成るように成るだろう。俺はどこまでも行けると確信した。 別れ際に伯母が1枚の色褪せた古い肖像写真を見せてくれた。伯母はこの写真の老人を「サムチュンハラボジ」と言った。おおよそ60年の時間を経て、写真は劣化し変色しながら、サムチュンハラボジは、今日この瞬間この未来に姿を見せた子孫に、これから旅立つ僕を見送ってやろうと、肖像写真となって時空を超えて姿を現した。

さくらい りゅうた

写真家 1983年 大阪府生まれ。
現在、世界各国のヌードを撮りながら旅をしている。